足利事件とは?DNA鑑定と警察の盲点を突く―事件の概要と真犯人の行方はいかに―

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皆さんは、足利事件という衝撃的な事件について知っていますか?

 

1990年に群馬県と栃木県の県境で発生した事件なのですが、闇が深い事件として有名で、今でもなおこの事件についての考察が飛び交うほどです。

 

その理由は、何とDNA鑑定で誤認逮捕となり、真犯人が未だに捕まっていないからです。

 

そして、私が一番伝えたいのは、”真犯人が捕まっていないのはなぜか?”という所なのです…

 

今回は、足利事件とそれに伴う闇について書いていきます。

 

足利事件の概要とは?

足利事件についておさらいすると、1990年に群馬県と栃木県の県境にて幼女5人が誘拐、殺害された事件です。以下Wikipedia先生より抜粋します。

 

足利事件(あしかがじけん)とは、1990年(平成2年)5月12日栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、翌13日朝、近くの渡良瀬川河川敷で、女児の遺体が発見された、殺人死体遺棄事件

事件翌年の1991年(平成3年)、事件と無関係だった菅家 利和(すがや としかず)が、被疑者として逮捕被告人として起訴された。菅家は、刑事裁判で有罪(無期懲役刑)が確定し、服役していたが、遺留物のDNA型が、2009年(平成21年)5月の再鑑定の結果、彼のものと一致しないことが判明し、彼は無実冤罪被害者だったことが明らかとなった。服役中だった菅家はただちに釈放され、その後の再審無罪が確定した。菅家の無罪が確定するまでの間、長らく日本弁護士連合会が再審を支援していた。また、真犯人が検挙されず、公訴時効が完成した未解決事件でもある。当事件を含めて、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は足利連続幼女誘拐殺人事件とされている。

当事件捜査に関する後年の調査報道などマスコミメディアがその事件捜査のあり方に注目し、調査報道の中で事件捜査初期に事件現場での真犯人目撃の情報を警察が把握していた事実や経緯も判明している。

出典―足利事件―Wikipedia

事件の概要は以上のようです。

この事件では、元々”DNA鑑定”と警察の捜査の元、犯人が菅家利和さんだと判決がされました。

 

しかし、あまりにも菅家被告人の無罪主張をする態度や証拠物などをみても確定的な部分が少なかったのと、日本弁護士連合会の支援もあり、再審することとなりました。

 

そして、あろうこと再度DNA鑑定を行ったところ菅家さんは無実であることが発覚したのです。

 

足利事件でなぜDNA鑑定の結果を間違えたのか?

この足利事件では、まず”なぜDNA鑑定の結果が違ったのか”という所から始めなければなりません。

 

1990年5月、真犯人は赤いスカートをはいた女児を連れているところを町の人に目撃されています。その中に美術教師もおり、スケッチを書かせたところ「マンガのルパンのようだった」と話していました。

 

栃木県警はその目撃証言と、「独身男性で、子どもが好き」という特徴をもとに捜査を始める事にしました。

 

そして、180人余りの捜査本部を置いての捜査の結果、菅家さんのゴミ袋から検出した体液のついたティッシュのDNAと事件にあった女児の下着に付着していたDNAが一致しました。

そして、そのDNA結果を元に菅家さんは逮捕されてしまったのです。

 

しかし、当時のDNA鑑定はMCT118型検査法という分析を用いていたのですが、その整合性は161人に1人の割合だったそうです。

 

それに加え、菅家さんの普段の生活習慣や行動などを周囲の人間に調査した結果、前科前歴もない菅家さんには即逮捕につながるような証拠は出ていなかったそうです。

 

にもかかわらず、精度の低いDNA鑑定を鵜呑みにし、罪のない人間を逮捕、無期懲役までの判決を下したのがこの事件なのです。

 

犯人に仕立て上げられた菅家さんの父親は事件のショックで亡くなり、その2年後に母親もなくなってしまったそうです。

菅家さんはその後2008年10月16日にDNAの再鑑定が決行。その後2009年4月に釈放されましたが、彼の人生を壊したのは間違いありません。

 

そして、真犯人は逮捕されず、時効が成立し、ついに逮捕されることはなくなってしまいました。

 

この足利事件は、足利連続幼女誘拐殺人事件という未解決事件としても話題ですが、DNA鑑定が間違っていると分かったうえで、本当に犯人がみつからなかったのでしょうか?

 

というのも、今回用いたDNA鑑定では161人に1人の割合で確定する、というものでした。しかも、2003年から新しいDNA鑑定方法(STR分析)が開発され、4兆7000億人に一人を割り出せる程の精度を持つ鑑定方法です。

 

どのみち、161人の類似するDNAを片っ端から調べ上げれば時効にならずに真犯人を逮捕できたはずなのです。なのになぜ逮捕されずに時効となったのか?

 

ここに衝撃な事実がありました…

 

足利事件の裏で起きていた”飯塚事件”とは?

1992年、福岡県飯塚市で、女児2人が殺害される事件が起きました。

この事件でも久間三千年さんという方が誤認逮捕され、最高裁で死刑判決がくだされました。

そう、この被告人が逮捕されたのも、全く同じMCT118型によるDNA鑑定の結果からでした。

 

しかも、この事件で鑑定を行ったのは全く同じ人間だったとされています。

 

久間三千年さんには殺害の前科もあったため検挙するには十分だったのかもしれません。最高裁でもDNA鑑定では有罪になりえる証拠としては不十分であるも、そのほかの証言などで論理的に立証されている、というのが裁判官の見解でした。

 

彼が死刑執行されることとなったのが2008年10月28日

そう。足利事件でDNA再鑑定された2週間後に死刑執行されたのです。

 

つまり、足利事件で真犯人を捕まえられずに時効で処理された本当の理由が「真犯人を捕まえてしまったら、誤審により無罪の人間を死刑にさせた」という事実が公になってしまうからなのではないでしょうか?

 

なぜなら、足利事件のDNA再鑑定の結果が恐らく菅家さんが犯人である、ということに疑問が残るような結果となったのでしょう。

 

しかし、飯塚事件では最高裁まで進んでしまった手前、疑問があったとしても判決を覆すことができなかった。

 

理由としても、最高裁で裁判官を務めた3人の中に、1審と2審で有罪判決を下したときの裁判官が居合わせていたのだといいます。

 

それらの理由と、警察の脅迫めいた取り調べから虚偽の自白を強要されたりしたのでしょう。久間さんの弁護人や親族、奥さんが無罪を主張しても再審や再鑑定は認められなかったそうです。

 

そして、二つのDNA誤鑑定により、罪のない二人の人生を狂わせることとなりました。

 

この真相に気づいた時、法律が守ってくれるのは権威のある人間だけで、一度疑われてしまった人間は滅多なことがなければ助ける事は出来ない無力さを思い知りました。

 

その逆に、権力を持った大人たちが事件を無かったことにしたり、事実を捻じ曲げることなど容易にできるのです。

 

ましてや無実の人間を死刑にさせたのですから。償いきれない罪を隠すしかなくなってしまったのです。

 

子どもの頃、「知らないほうがいいこともある」と親や大人たちに言われていたのを覚えています。私はこの事件を知って大人たちが言っていたことの意味が少しわかった気がしました。

 

 

この事件はあなたにとって「知らないほうがいいこと」でしたか?

 

 

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